2010/04/02

4.過去の公害の実態と問題点その2

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2.公害の問題点

 (1) 企業犯罪的公害

 過去における日本の産業公害の特徴は、公害の原因者である企業が、明白にもかかわらず、長期にわたり、加害企業としての責任と、被害者への正当なる補償、有効な公害対策をとらなかったばかりか、公害の実態を隠そうとする犯罪的とも言える行為を続けたところにある。
 その結果、汚染地帯及び、被害者の拡大と、残酷・悲惨な事態を生むことになった。

 公害病は、その多くが根本的治療法(完治可能な治療法を指す)さえ未だに無く、その後も後遺症に苦しむことになる。
 これら公害病の重症患者の多くは、不自由な生活や職場を失い、たとえ補償金をもらっても健康な体に戻るわけでもなく、ましてや被害者の命が補償金で蘇るわけでもないことを加害者と行政は考えるべきである。



(2) 企業癒着行政

 公害問題は、行政にもその責任がある。
企業の犯罪性と、それを容認、擁護した政府、自治体そして一部学会、有識者などの三位一体性と、無責任性が、その後の公害問題解決を、長期化させ、悲惨なものにしたと言えよう。
 また、企業とは、戦後の高度経済成長期、地域産業開発にあたり、国・地方自治体の企業工場誘致運動の推進により、癒着関係がいっそう深まったと言える。
 
 いったん公害問題が発生すると、企業側に立ち、公害問題の事実隠蔽、責任の回避、問題の先送りなど、しばしば住民運動と対立することになる。
 その結果、公害は大きな社会問題であるにもかかわらず、その後の多くの公害問題に対しても、貴重な教訓としていかされる事はなかった。
 戦後の日本の驚異的とも言える経済成長は、公害など社会的損失を企業が負担せず、すべて国民に添加することによりなされたと言ってもよい。



(3) 企業城下町的体質


 ある企業が、地域社会において経済的に多大な影響力をあたえる場合、行政(政府・自治体)との癒着体質以外に、地域住民の企業依存的構造がある。いわゆる「企業城下町」と言われるものである。
 この場合、企業や行政の対応の仕方によっては、被害者にとってより悲惨な結果を招くことになる。
公害により発病しても、原因不明の奇病として片づけられ、企業・行政にとって不利益な情報は、噂話でさえタブーであり、たとえ公害病とわかっても、被害者は満足な救済を受けられず、それどころか、公害病と認定されれば、いわれの無い誹謗中傷により、本人はもとより家族の結婚や就職問題にまで影響するのである。
 
 患者、被害者に対して社会的な救済の制度や、救援の世論が無い場合、被害者は絶望的な孤立感の中で、沈黙するしか日本の地域社会では生られないのである。
過去の公害事件では、自ら名乗り上げること無く、ふるさとを離れた被害者も少なくない。


 例えば、熊本水俣病事件では、発生から45年以上たった現在でも、いつ発生し、何名の患者がいるのか、根本的治療法はあるのかなど、正確な被害実態は誰もわからないのである。
 少し古い資料ではあるが、昭和56年(1981)11月末現在で1784人、そのうち死者は478人を数える。まだ認定待ちの申請者が5000人を超えており、最終的にどれくらいの患者数になるかは現在のところわかっていない。
 水俣湾が水銀汚染されていた当時、この地域に居住し、近海で水揚げされた魚介類を
 これは水俣病患者のみならず、多くの公害患者に共通して言えることであるが、行政側の救済制度をはじめ公害対策の整備と、国民の公害患者に対する理解と、支援、公害反対の世論が無ければ、被害の実態さえ明らかにならないのである。

 追記)
 1956年、水俣病が公式に報告(地元・水俣保険所が「原因不明の奇病発生」として発表)されてから50年以上経過し、この間、1973年・原因企業(チッソ)の責任認定判決、2004年・最高裁で国/県の責任を認定した判決が出された。
 1997年(平成9年)8月現在、国による被害者救済対象・11,540人、2009年7月被害者救済の特別措置法が成立。2010年現在も未認定患者の一部(約2100人)で損害賠償請求の訴訟が裁判中である。


 (2010.03.10)
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