2011/03/11

日本の公害年表




日本の公害の歴史年表
年 代
主な公害事件と参考事項
1868
(明元)
・明治維新 ( 江戸から明治へ )
わが国の公害問題は、明治以降、急激な近代産業の生成発展とともに発生し、推移してきた。
 明治中期以降は、製糸紡績業を中核として近代産業の基礎を築き、さらに製鉄、造船等の重工業の拡充を図ってきた。
 当時の主要工業のエネルギー源は石炭であり、すでに大阪、九州八幡等の工業都市において石炭燃焼に伴うばい煙による大気汚染現象がみられた。
1883
(明16)
・浅野セメント降灰事件 (大阪)
足尾銅山鉱毒事件
(足尾銅山 (栃木)の鉱毒で渡良瀬川流域被害。後に「日本の公害運動」の原点といわれる。)
1893
(明25)
・別子銅山煙害事件、別子銅山(愛媛) の煙害発生
1912
(大元)



1945
(昭20)
・昭和20年 8月15日 太平洋戦争終戦
1954
(昭29)
・ビキニ環礁水爆実験(米国)
・「第五福竜丸」事件
(米国のビキニ環礁水爆実験で、当時、周辺海域(危険水域外)で操業していた日本のマグロ漁船(第五福竜丸)が放射能被爆、船員の久保山さんが約6ヵ月後に死亡。) 
1955
(昭30)
神通川イタイイタイ病
(神通川流域(富山)で農作物の被害、イタイイタイ病(カドミウム)発生)
・森永ひ素ミルク事件
(猛毒のひ素が混入したミルクにより死者130人、患者 1万2131人をだす。)


1956
(昭31)
水俣病の公式発見
(九州水俣湾沿岸(熊本)で奇病が広がる。まず猫などに異常行動が見られるようになり、やがて人間にも現れてきた。後に水俣湾で水銀に汚染された魚介類が原因と判明、水俣病と呼ばれ「日本の公害病」の原点となる。)
1957
(昭32)
江戸川漁業被害
(江戸川 (東京) で製糸工場の汚水による漁業被害発生)
1961
(昭36)
四日市(三重)でぜん息患者多発

1962
(昭37)
・ベトナム戦争(1962-1971)で枯葉剤散布
(副産物に猛毒のダイオキシン発生。肝臓ガン・流産・異常出産・奇形児などの事例報告)
サリドマイド薬害事件
(産婦の睡眠・鎮痛剤服用によって約千二百人の赤ちゃんが奇形発症。)
・東京で1週間にわたりスモッグ発生。この頃より首都圏で冬にスモッグ発生の回数が増加してくる。
米国・生物学者で作家のレイチェル・カーソン女史、著書「沈黙の春」を発表。農薬などの化学物質による環境汚染を警告。1964年4月14日ガンにより死去(享年56才)
1964
(昭39)
・東京オリンピック開催
阿賀野川(新潟)で第二水俣病発生
(阿賀野川下流域(新潟)で水俣病発生)
1968
(昭43)
PCBによるカネミ油症事件
(米ぬか油に混入したPCBが原因の食品公害事件)
1970
(昭45)
スモン病薬害事件
(整腸剤キノホルムで一万人以上が知覚障害などの被害を受ける。)
・東京で光化学スモッグの被害発生
(首都圏南部(東京・神奈川・千葉など)で、夏の日中屋外にいた生徒たちに、 目や喉の痛み、呼吸困難、めまい、けいれん等の症状が多発。)
1971
(昭46)
・環境庁設立
1974
(昭49)
・世界の人口40億人
水島コンビナート( 岡山 )で重油流出事故

1975
(昭50)
豊島(香川)産廃公害事件
(当時、国内最大量の産業廃棄物の投棄事件。住民が反対運動を展開。処理に多額の税金が投入されることになる。)
・東京で六価クロムによる汚染問題発生。
1979
(昭54)
・スリーマイル島(米国)で原子力発電所事故
・世界気候会議(WMO)-温室効果による温暖化を警告
1981
(昭56)
・大阪の水道水にトリハロメタン(肝臓を侵す有害物質)検出

1985
(昭60)
薬害エイズ事件
(厚生省が血友病治療薬の非加熱製剤による、エイズ感染を正式に認める。 また83年に死亡し、当時エイズ感染を否定された血友病患者を、エイズと認める。)
1986
(昭61)
・チェルノブイリ(旧ソ連)原子力発電所事故
・世界の人口50億人
1988
(昭63)
尼崎公害訴訟
(1988年12月、自動車の排出ガスなどによる大気汚染により「気管支ぜんそく」などの健康被害にあったとして、 兵庫県尼崎市南部の公害病認定患者379人が、国と阪神高速道路公団および企業9社などを被告として損害賠償などを求め訴訟を起こす。)
新河岸川産廃不法投棄事件
(埼玉県朝霞市の一級河川・新河岸川(しんがしがわ)河川敷における、大量の有害・産業廃棄物の不法投棄事件。埼玉県により処理対策中(2014年現在)。犯人の特定できず時効成立。処理に県民の多額の税金が投入されているが、埼玉県はこれまでの総費用を公表せず。)
1989
(平元)
名古屋南部大気汚染公害訴訟
(名古屋市南部地域と東海市の住民145名が、名古屋南部地域の企業11社および、 国道1号・23号等の設置・管理者である国を相手に、「名古屋南部大気汚染公害訴訟」を起こす。)
1990
(平2)
・雪国等で使用されるスパイクタイヤが粉じん公害の原因であるとし使用を規制する。

1993
(平5)
・環境基本法が成立。

1997
(平9)
ナホトカ号重油流出事故
(島根県沖の日本海でおきたロシア船籍タンカー(ナホトカ号)の沈没事故により積荷の重油が流出、1府5県にわたる日本海沿岸に大量の重油漂着。)
1999
(平11)
・世界の人口60億人
JCO原子力臨界事故
(東海村(茨城)の核燃料加工工場で臨界事故/国内で過去最悪の原子力関連事故。多量の放射線被爆により2人死亡。)
現在、国内電力量の1/3は原子力発電による。
 参考資料(発電電気量の構成-世界年鑑より)
2000
(平12)
荏原製作所(藤沢工場)引地川ダイオキシン汚染事件
(荏原製作所(神奈川県・藤沢工場)が環境基準値の8100倍、国内最悪のダイオキシンを引地川(藤沢市)へ排出。)
・循環型社会形成推進基本法(廃棄物・リサイクル法)の公布(6月2日)
雪印乳業集団食中毒事件
(1万3420人以上の被害者を出した日本の食中毒事件としては、過去最大級の集団食中毒事件。)
2001
(平13)
・環境庁から環境省になる
(平成13年1月 第2次森内閣の中央省庁再編実施)
2001
(平13)
2001
(平13)

2001
(平13)

2011
(平23)
・東日本大震災(3月11日)
(2011年3月11日14時46分(日本時間)、東北・三陸沖で、マグニチュード 9.0の巨大地震(日本の観測史上過去最大)が発生し、その後の最大溯上高40.1m(岩手県大船渡市において記録)の大津波が発生したことにより、東北から関東にかけての東日本一帯に甚大な被害をもたらし、日本国内において戦後最悪の自然災害となった。)

・福島第一原発事故(3月11日)
(史上最悪の原発事故:地震動とその後の津波により東京電力/福島第一原子力発電所(福島県双葉郡大熊町)の全交流電源が喪失状態となり、運転中であった1~3号機が緊急停止したものの、原子炉の冷却に失敗、炉心溶融(メルトダウン)を起した結果、関東から東北地方一円に膨大な放射性物質が飛散。政府により福島第一原子力発より半径20km圏内(危険区域)の住民に対し避難指示発令。 その後、20 - 30km圏内の住民に対し自主避難促進を呼びかける。畜農産物および水産物にも甚大な影響を与える、日本原発技術の安全神話が崩壊。)


















2011/02/20

中国汚染食品-地溝油事件


( 2011.02.20 )

● 下水の油から食用油で「究極のリサイクル」と自慢する中国人!


 「地溝油」とは、中国でレストラン、食品工場などの排水溝や下水溝などからすくい取った油脂を濾過し、精製した油のことで、食用油・食用ラードなどとして流通していることが社会問題となっている。
 日本では、「下水油(げすいあぶら)」として呼ばれることも多いい。

 中国国内では、2005年頃より「地溝油」の存在について噂はあったものの、2010年3月、全国紙である「中国青年報」が記事にしたことで、その存在が公になったと言われている。

 製造方法は、下水のマンホールの蓋を開け、表面に浮いているのり状(クリーム状)の油脂を柄杓の様なものですくい取り、桶に収集したものを、一昼夜かけて濾過した後、加熱、沈殿、分離などの工程を経て、食用油として取引される。

 もちろん、さすがの中国でもこれらの食用油は違法として摘発の対象になり、最高は死刑となる重罪である。 しかし、暴利(儲けが大きい)を得ることができることから、これらの犯罪行為は後を絶たない。

 原料費はタダ、市販されているサラダ油の通常価格の半額程度で流通しているとかで、新品のサラダ油と比べると、ややドス黒いものの、味や匂いでの判別はむつかしいという。
 
 「メーカー名」、「生産者名」、「生産日」の3つが記載されていないことから、中国では「三無商品(さんむしょうひん)」と呼ばれていて、レストランや、屋台、食品工場の揚げ物や油もの料理の調理過程で使用されたり、食品添加物として使用されることも多く、近年「食品汚染」として社会問題化している。
 
 中国の医学的研究報告によると、「地溝油」には発がん性物質の「アフラトキシン」や、劇薬とされる農薬の「666」、「DDT」が高濃度(中国での基準値以上)で検出されていて、健康への影響が懸念されている。

 中国での食用油(動物・植物油)の年間使用料は2,250万トン(統計年度不明)とされるが、生産量は2,000万トンに過ぎないことから、この差約200~300万トンが「地溝油」と推定されているが、実態は不明。 少なくとも中国国内で使用されている食用油の約1割以上が「地溝油」ではないかとも言われている。 中国では「地溝油」の存在をほとんどの人が知っているという。

 問題は中国国内だけに留まらず、「中国産加工食品として製造工程や添加物として使用されたものが、日本に輸入されている可能性は100%否定できない」とするジャーナリストもいる。

 現在、中国からの膨大な量の輸入食品についても、すべてを税関(水際)で検査、摘発するのは不可能である。 過去に、「毒入り冷凍餃子事件」のように、消費者が食べて初めて判明することも多いい。 したがって、心配ならば少なくとも中国産(加工品以外の中国に由来する原材料食品を含む)の食品は敬遠する(口にしない)ことしか防ぐことはできないであろう。




● 主な関連ニュース(抜粋情報)

( 2011.02.20 )

 2011年2月には、最高人民法院(最高裁)、最高人民検察院(最高検)、公安省が、有毒な粗悪油を加工・製造・販売するなどし、「国家や国民の利益に重大な損失を与えた」場合、最高で死刑を適用できるとした通知を公布した。
 ただ、地溝油は大きな利益をもたらすため、密造は後を絶たず、摘発を進める当局とのいたちごっこが続いている。


( 2010.08.02 )

  中国国内では、厨房(ちゅうぼう)の排水溝などにたまった廃食用油を違法に再加工した地溝油が「食用油」として、コスト減を図ろうとするレストランなどで流通。
 「食の安全」が問われる中、大きな社会問題となっている。



( 2006.08.02 )

 浙江省温嶺市新河鎮塘下村にある豚油加工企業「繁昌油脂廠」が、地溝油を製造していた現場に対して、浙江省台州市衛生監督所による立ち入り検査から地溝油の押収までの様子が紹介された。

 台州市衛生監督所の調査によると、繁昌油脂廠は「下水溝に溜まった油を原料として食用ラードを生産している」という通報を受け、調査を始めたところラードの包装缶にマークが入っていないことを発見し、関連規則違反として生産の一時停止命令を出したが、昼間は生産停止を装い夜間に操業をおこない、監督部門の退勤後、早朝まで操業していた。

 このため執行官らは繁昌油脂廠の監視と製品の追跡という両面作戦から販売店を割り出し、繁昌油脂廠の製品20数缶を発見し、サンプルを台州市疾病予防センターに分析を依頼し、食用ラードの油の酸化の指標である酸価値が国家基準(1.5mg)の11倍にあたる、1g当たり17mgを超えていることを突き止めた。
 また他の販売店から採取したサンプルからは、劇毒の農薬である「666」と「DDT」が、1kg当たり0.027~0.088mg検出された。