2010/04/03

5.公害の日常化と広域化

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(1) 公害の日常化

  1960年代、戦後、日本経済は、かってないほどの高度成長をとげ、重化学工業化と大都市化をすすめながら、公害を野放しにしてきた。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく、PCB汚染、光化学スモッグ、交通騒音、排気ガス汚染・・・・・。

 この時期、公害問題と言えば、四大公害事件に象徴されるような、犯罪的とも言える企業公害が主であった。

 1970年代、公害の主役は、企業公害に加え、公共事業、核家族化で急増した都市生活者における生活公害がふえはじめた。
 高速道路、新幹線、港湾や都市部における自動車排気ガス、騒音、油汚染、ゴミ、合成洗剤汚染などに象徴されるような、流通、消費過程で発生する都市型公害が増加した。

(2) 公害の広域化

 1980年代、大量生産、大量消費により、生活の便利さ、豊かさを求めた結果、大量に排出されるゴミ処理が、新たな公害問題として加わった。
 この頃より公害は、かっての水俣病に代表される、かぎられた地域や、短期濃厚汚染物質に起因するいわゆる公害病だけではなく、ごく微量の化学物質の長期汚染による健康障害、或いは種々の環境汚染物や、食品、薬品などの複合汚染が、未来に重大な影響を示す可能性がでてきた。

 自動車排気ガス、食品添加物、農薬、PCB汚染、環境ホルモン、ダイオキシン、オゾン層破壊、放射能汚染・・・・・。
これらの汚染物質は、さらに自然の生態系を撹乱し、地球規模(地球環境破壊)へと拡大している。
 地域差や量的な違いはあるものの、一般市民の母乳や、北極海のアザラシからもPCBやダイオキシンが検出されいることからも、今や我々は、日常的にこれらの物質に汚染されている。


 これまでの公害問題は、企業や行政など、公害の原因物質を排出した加害者側と、被害者側といった構図が、はっきりしていたが、現在の公害は、被害者がまた加害者でもあると言った構図が、日常生活の中でおこりうるのである。
 すなわち、公害に反対するならば、自からが公害を出さないようなライフ・スタイルにかえることが、早急に求められている。


(3) 公害から環境破壊へ

 近年、公害は一地域、国内だけの問題ではなくなった。越境汚染(汚染物質が国境を越えて遠くまで移動し、他の国や地域を汚染すること)である。
 1960年代には欧州(ヨーロッパ)の工業国から排出された大気汚染物質(化石燃料(石油や石炭など)を燃やした結果発生する二酸化硫黄や窒素酸化物などの酸性物質で工場の排煙や自動車などの排気ガスに多く含まれるまれる。)が酸性雨となり、北欧(北ヨーロッパ)、ドイツ、イギリスの森林破壊や河川・湖沼の汚染と植生・生息動物など生態系を破壊した。 この時期は、アメリカの五大湖周辺の工業地帯の大気汚染がカナダの間でも問題となっていた。
 
 1990~2000年頃になると、日本でも急速に経済活動を拡大してきた中国大陸や朝鮮半島から偏西風に乗ってくる大気汚染物質が急増し問題となってきている。 (2007年、国内では大気汚染対策が進み汚染物質が減少しているなか、西日本の広い地域に光化学スモッグ注意報が発令され、中国からの大気汚染物質が原因との憶測が流れた。)


 温暖化と異常気象、オゾン層破壊、海洋投棄された産業廃棄物や、都市の河川からの流出した生活ごみが大量に海洋を漂流し、海洋動物(水産資源など)を汚染し、沿岸国に漂着ごみとして汚染を拡大させている。


 (2010.03.10)
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2010/04/02

4.過去の公害の実態と問題点その2

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2.公害の問題点

 (1) 企業犯罪的公害

 過去における日本の産業公害の特徴は、公害の原因者である企業が、明白にもかかわらず、長期にわたり、加害企業としての責任と、被害者への正当なる補償、有効な公害対策をとらなかったばかりか、公害の実態を隠そうとする犯罪的とも言える行為を続けたところにある。
 その結果、汚染地帯及び、被害者の拡大と、残酷・悲惨な事態を生むことになった。

 公害病は、その多くが根本的治療法(完治可能な治療法を指す)さえ未だに無く、その後も後遺症に苦しむことになる。
 これら公害病の重症患者の多くは、不自由な生活や職場を失い、たとえ補償金をもらっても健康な体に戻るわけでもなく、ましてや被害者の命が補償金で蘇るわけでもないことを加害者と行政は考えるべきである。



(2) 企業癒着行政

 公害問題は、行政にもその責任がある。
企業の犯罪性と、それを容認、擁護した政府、自治体そして一部学会、有識者などの三位一体性と、無責任性が、その後の公害問題解決を、長期化させ、悲惨なものにしたと言えよう。
 また、企業とは、戦後の高度経済成長期、地域産業開発にあたり、国・地方自治体の企業工場誘致運動の推進により、癒着関係がいっそう深まったと言える。
 
 いったん公害問題が発生すると、企業側に立ち、公害問題の事実隠蔽、責任の回避、問題の先送りなど、しばしば住民運動と対立することになる。
 その結果、公害は大きな社会問題であるにもかかわらず、その後の多くの公害問題に対しても、貴重な教訓としていかされる事はなかった。
 戦後の日本の驚異的とも言える経済成長は、公害など社会的損失を企業が負担せず、すべて国民に添加することによりなされたと言ってもよい。



(3) 企業城下町的体質


 ある企業が、地域社会において経済的に多大な影響力をあたえる場合、行政(政府・自治体)との癒着体質以外に、地域住民の企業依存的構造がある。いわゆる「企業城下町」と言われるものである。
 この場合、企業や行政の対応の仕方によっては、被害者にとってより悲惨な結果を招くことになる。
公害により発病しても、原因不明の奇病として片づけられ、企業・行政にとって不利益な情報は、噂話でさえタブーであり、たとえ公害病とわかっても、被害者は満足な救済を受けられず、それどころか、公害病と認定されれば、いわれの無い誹謗中傷により、本人はもとより家族の結婚や就職問題にまで影響するのである。
 
 患者、被害者に対して社会的な救済の制度や、救援の世論が無い場合、被害者は絶望的な孤立感の中で、沈黙するしか日本の地域社会では生られないのである。
過去の公害事件では、自ら名乗り上げること無く、ふるさとを離れた被害者も少なくない。


 例えば、熊本水俣病事件では、発生から45年以上たった現在でも、いつ発生し、何名の患者がいるのか、根本的治療法はあるのかなど、正確な被害実態は誰もわからないのである。
 少し古い資料ではあるが、昭和56年(1981)11月末現在で1784人、そのうち死者は478人を数える。まだ認定待ちの申請者が5000人を超えており、最終的にどれくらいの患者数になるかは現在のところわかっていない。
 水俣湾が水銀汚染されていた当時、この地域に居住し、近海で水揚げされた魚介類を
 これは水俣病患者のみならず、多くの公害患者に共通して言えることであるが、行政側の救済制度をはじめ公害対策の整備と、国民の公害患者に対する理解と、支援、公害反対の世論が無ければ、被害の実態さえ明らかにならないのである。

 追記)
 1956年、水俣病が公式に報告(地元・水俣保険所が「原因不明の奇病発生」として発表)されてから50年以上経過し、この間、1973年・原因企業(チッソ)の責任認定判決、2004年・最高裁で国/県の責任を認定した判決が出された。
 1997年(平成9年)8月現在、国による被害者救済対象・11,540人、2009年7月被害者救済の特別措置法が成立。2010年現在も未認定患者の一部(約2100人)で損害賠償請求の訴訟が裁判中である。


 (2010.03.10)
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2010/04/01

3.過去の公害の実態と問題点その1

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1.公害の実態

  公害は、自然災害と異り、人類の生産活動や日常生活の遂行などに伴って生ずる現象であって、人及び、動・植物の快適な生活環境を奪う、社会的に有害な影響を及ぼすものである。
しかもその影響は、一般的に生物的弱者から始まると言えるだろう。
 たとえば都市における大気汚染は、まず、周辺の汚染に弱い植物に現れ、水の汚染は、魚介類、水鳥などの大量死や奇形、さらに人間の場合は、抵抗力の低下している病人、老人、子供がまず健康を害する。


 公害は、個々の発生源からの汚染を個別的にみれば、ほとんど影響を生じない場合であっても、大気を汚染し、水を汚染し、土壌を汚染し、食物を汚染し、人間が生きるためのあらゆる環境を、静かに、だが確実に汚染し、それが数多く集積することによって重大な影響を及ぼすことになる。
 それらはごく微量でも長期的に、単独または複合的汚染により、体内の奥深く進入し、ホルモンを撹乱し、遺伝子を傷つけていくのである。

 
 公害が及ぼす影響は多種多様である。人間の健康や居住環境に対してはもちろん、動植物や物的資産等生活環境にも及び、その影響の範囲は、今や「環境破壊」と言う名で、地球規模にまで拡大している。
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