2014/04/30

下水処理の汚泥を食料生産にリサイクル!


( 2014.04.30 )

● 下水処理の汚泥を食料生産にリサイクル!


 近年、下水処理場から出る汚泥や処理水を食料生産に生かす取り組みが全国に広がっている。
現在、下水処理場では、下水の汚れを微生物に分解させて沈殿させ、上澄みの水を放流。 沈殿した汚泥は長らく厄介者扱いされ、1990年代まで埋め立て処分が大半を占めていたが、肥料の3大要素、窒素、リン、カリウムを豊富に含み、近年の肥料価格高騰もあり価値が見直されている。

 下水道を所管する国土交通省によると、埋め立てに回される量はほぼ毎年減り続け、2010年にはリサイクル率が78%に達した。
ただ、そのうち60%はセメントなど建設資材に用いられ、バイオマス(生物資源)としての利用は農業用肥料15%、バイオ発電1%程度。
 下水汚泥から「不衛生」とのイメージに対し、愛知県のプロジェクト参加者は「さまざまな形で熱処理され、ヒ素やカドミウムなどの、重金属類の公定基準値も検査でクリアしているので管理して使えば害はない」と言い切る。

 愛知県東部の豊橋市など4市の下水を処理する「県豊川浄化センター」では、下水汚泥由来のガスによる発電の過程で出た二酸化炭素(CO2)を、ビニールダクトを通してトマトの苗に吹き付け、苗の周囲のCO2濃度を高めることで光合成を促し、さらにリンなどを含む処理水を苗に吸わせて育てることで、通常に比べ収量は3割増したという結果も。

 また、有明ノリの生産で知られる佐賀市では、2007年から下水処理場と漁協が連携し、ノリを養殖する冬場は処理水の窒素濃度をあえて高くしたまま海に放流している。
 その結果、窒素がうまみのもとになるアミノ酸を増やし、品質の良いノリの生産につながると期待されている。
 さらに市は、業者に委託して毎年約1400トンの汚泥肥料を生産し、農家に販売していて、汚泥が資源になる例として注目されている。

 下水汚泥処理に詳しい高岡昌輝・京都大教授(環境工学)は「汚泥が含むリンの総量は日本が年間に輸入する量の5分の1に上る。リンは世界では貴重な“戦略物質”の扱いで、輸入は今後さらに制約されるだろう。国内で調達できる資源として、汚泥や処理水の有効利用を考えていくべきだ」と語る。


 ◇下水汚泥や処理水の主な利用例◇

・北海道岩見沢市・・・・・・  汚泥肥料をカボチャ栽培に
・青森県八戸市・・・・・・・  汚泥肥料をニンニク栽培に
・高知市・・・・・・・・・・・   汚泥肥料をイチゴ栽培に
・佐賀市・・・・・・・・・・・  下水処理水をスッポン飼育に
・熊本市・・・・・・・・・・・  下水処理水を稲作に
・鹿児島県奄美市・・・  汚泥肥料をサトウキビ栽培に

 国交省の担当者は「下水処理技術と食料生産利用という付加価値は、人口が急増する開発途上国では武器になる。成功事例を世界に発信したい」として、処理技術と農業利用のセットで海外への売り込みに意欲を見せているようだ。







2014/04/14

レイチェル・カーソンの遺言「沈黙の春」


( 2014.04.14 )

● レイチェル・カーソンの遺言「沈黙の春」・没後50年 


 本日(4月14日)は、作家 レイチェル・カーソン(1907年5月27日 ~ 1964年4月14日)の没後50年にあたる。

 環境保護運動の原点となった著書「沈黙の春」は、野生の鳥たちが農薬の影響で姿を消したとして、化学物質の危険性を訴え、人類による環境破壊に対し警鐘を鳴らす内容に、世界は衝撃を受けた。

「自然は沈黙した。
薄気味悪い、鳥たちはどこへ行ってしまったのか、みんな不思議に思い、不吉な予感に脅えた。
ああ~鳥がいた、と思っても死にかけていた。ぶるぶるからだをふるわせ、飛ぶこともできなかった。
春が来たが、沈黙の春だった。
病める世界、新しい生命の誕生をつげる声も、もはやきかれない。
すべては、人間がみずからまねいた禍いだった。」


生物学者で作家でもあったレイチェル・カーソンは、著書で人工の化学物質を正しく管理しなければ、人類は間違いなく悲惨な結果を迎えると警鐘した。

「人類の作り出した化学物質は、便利で豊かな生活をもたらす一方で、環境を汚染し、やがて人間の身体をも蝕む危険性がある。」 カーソンの警告は、やがて現実になる。




環境運動の先駆者として、後の人々にも多大な影響を与え、その思想や著書は今なお色あせることはない。




・主な著書

「潮風の下で」 原題(Under the Sea-Wind) 1941年

「われらをめぐる海」 原題(The Sea Around Us) 1951年

「海辺」   原題(The Edge of the Sea) 1955年

「沈黙の春」 原題(Silent Spring) 1962年

「センス・オブ・ワンダー」 原題(The Sense of Wonder) 1965年